夢幻の旅:第三十ニ話(最終話)
「こんなに早く亡くなるなんて……」
「光平、迷わずお父さんのところへ行くんだよ」
八月二十日、身内だけで光平さんの四十九日法要を行い、お義父さんが眠る墓への納骨を終えた。
荼毘に付してもらう前、棺を閉じるときに黒い日記を中に入れた。必ず蛍ちゃんに会えるようにと願いを込めて。
光平さんが亡くなってしまったことで私の心にぽっかりと大きな穴が開き、今も半ば心神を喪失してるような時がある。
あの日、光平さんは二度と意識を取り戻すことなく、まるで家族の到着を待っていたかのように、お義母さんと私の母に手を握られてから心臓の動きを止めた。
お義母さんは、自分より先に亡くなった息子の死を受け入れられず、葬儀が終わってから寝込んでしまうなど、私が心配するほど落ち込んだ。
ジョニーも光平さんが亡くなった日から様子がおかしくなり、散歩に連れて行こうとしても立ち上がらない。
ドッグフードも食べないので心配したが、葬儀が終わった夜、自ら首輪を抜け、網戸を破って家の中に入ってきた。ジョニーは祭壇の前で丸くなったまま、外に連れ出そうとしても動かない。
次の日も、また次の日も祭壇の前に居続け、とうとう水も飲まなくなってしまったのだ。
どうしたものかと困っていたが、疲労と心労が重なり早く寝た日の明け方に見た、真っ暗闇の中を飛ぶ一匹のホタルの夢が解決してくれた。
「ジョニー、良美を守れ」
光平さんの声で目を覚ますと、時間は朝の四時。
トイレに行き、ジョニーの様子を見に行くと、ジョニーは祭壇の前にはおらず、玄関に座って私を見ていた。
「ジョニーも光平さんの夢を見たんだ」
なんとなくそんな気がして頭を撫でてやると、ジョニーは気持ち良さそうな顔をして尻尾を振り、玄関のドアを開けて外に出たら後から付いてきた。
ジョニーは自ら犬小屋へ戻り、餌を催促するようにドッグフードストッカーを見ている。
「お腹が空いたでしょう? いっぱい食べなさい」
そう言ってドッグフードと水を与え、再び頭を撫でてから首輪を付けて家の中に戻った。
それ以来、ジョニーが首輪を抜けて家の中に入ってくることはなかったが、時々、寂しそうな眼をして家の前を流れる川の方を見ていることがある。
納骨が終わった夕暮れ時、お義母さんたちと家に帰り、光平さんの位牌を小さな仏壇に安置した。明日、葬祭業者が祭壇を片付ければ法要も一区切りつく。
線香をあげて二階の自室へ行き、喪服から着替えて一階のリビングにいるお義母さんと私の母に声をかけた。
「ジョニーの散歩へ行ってきます」
首輪にリードを付け、いつも散歩へ行く川へ向かう。
歩道から土手に入ると、ジョニーは地面の匂いをクンクン嗅ぎながら上流へ歩いていく。
五百メートルほど歩き、いつも川に入れて遊ばせる場所まで来ると、突然ジョニーが立ち止まった。
ジョニーは光平さんの足音を聞きつけたときのように、クゥン、クゥンと甘えるような声を出し、川には入らずに上空を見つめている。
なんだろうと思い、ジョニーが見つめる先に目をやると、オレンジ色に染まった夕焼け空を飛ぶ二つの小さな光が目に入った。
「あっ、ホタル……」
見た瞬間、ジョニーが甘えるような声を出している理由が分かった。
(光平さん、蛍ちゃんを連れて帰ってきたんだ……)
その場に立ち止まり、ジョニーと一緒に二匹のホタルを目で追う。
茜色の空を楽しそうに飛ぶホタルたちを見ていると、光平さんが言った「人間は夢の世界を生き、幻の世界へ旅立つ存在なのかもしれない」という言葉が理解できるような気がする。
きっと幻の世界は、この世界と重なり合っているに違いない。野の草に、風の歌に、季節の匂いに光平さんの魂を感じ、その瞬間に喜びを感じるのが生きること、そして幻の世界を感じることなんだ。
二匹のホタルを見ていると、後ろを飛ぶホタルが、まるで娘を心配して小言を言いながら付いていく父親のように思え、おかしくなってくる。
私もいつか、一瞬の夢のような人生を終えて幻の世界へ旅立ち、あの二匹のホタルと一緒に大空を舞う。
私は、気持ち良さそうに飛ぶホタルの姿に、光平さんが困ったときの唇を歪める顔を映し、二匹のホタルが夕闇に溶けて見えなくなるまで、微笑みを浮かべ見守り続けた。
《了》
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