夢幻の旅:第十四話
「よく聞いてくれ……」
バクバクと破裂しそうなほど高鳴る心臓。慎重に、言葉を選びながら覚悟を決めて口を開く。
「お前と知り合う前のことだけど、若いころ付き合ってた人との間に子供がいることが分かったんだ……」
言い終わったときには、いや、喋ってる途中から、俺は良美の目を見ることができず下を向いていた。あたりまえだ。結婚して二十四年、今さら子供がいたなんて堂々と言える話じゃない。
僅かに沈黙が続き、おそるおそる顔を上げて良美を見ると、ポカンとした顔がみるみるうちに紅潮し、徐々に怒りの表情に変わってきた。
「どういうこと……? 子供がいたなんて聞いてない……。今まで嘘をついてたの! 私をだまして結婚するなんて!」
両肩を震わせ大声をあげる良美の眼から涙が溢れて頬を伝い、顔を真っ赤にして怒りの形相で俺を睨んでいる。でも、俺だって蛍のことを知ったばかりなんだ。良美と出会った時は知らず、だましたつもりもない。
「違う! お前をだますとか嘘をつくとかじゃなく、蛍のことは本当に知ったばかりなんだよ!」
「聞きたくない! 私が子供を産めないから、他の女と子供を作ったんでしょ!」
両肩を持つ俺の手を振りほどき、良美はソファーから立ち上がった。
あまりの剣幕の凄さに、大粒の涙をポロポロこぼし濡れる頬を右手で拭きながら立ち去る妻を追うことができない。ソファーに座ったまま俯き、足音だけを聞いて、良美が二階の自室へ行き大きな音で扉を閉めたことを確認してるだけの自分。
俺の意識は足跡をたどり良美を捕まえようとするものの、体はソファーに座ったまま。なんとなく顔を上げてみるものの、頭の中では何も考えてない。
ソファーから立ち上がり、困ったときの俺の癖、上唇の左側を上にあげて歪ませるというシド・ヴィシャスの真似をしてみたものの、良美の後を追う気になれず、両手で顔を覆い再びソファーに体を沈めた。
(最悪だ……やっぱり言うんじゃなかった……)
座っていたソファーに横になり、肘掛けに足を乗せ目を閉じると、言わなければよかったという後悔と、蛍のためにも言わなきゃいけなかったんだという思いが、胸の中でドロドロした溶岩のようになって混じり合い、次第に自分が何を考えてるのか分からなくなってくる。
俺は牛革のソファーの縁を左手で触りながら顔を右側の背もたれに向け、溜息をついて立ち上がった。言ってしまった以上、考えても仕方ない。あの水晶のチョーカーを持ってる蛍は、間違いなく俺と明子の子供だ。
俺に子供がいると知り、良美は部屋に籠って泣いているだろう。俺は、良美にとっても蛍にとっても、最悪のタイミングで話をしたのかもしれない。
頬を両手で叩き、キッチンへ行き水を一杯飲んだ。明日は精密検査で朝早い。こんな状況じゃ食欲も湧かないし、食べずに寝て病院へ行こう。
ダイニングテーブルの上に置いてある、良美が作った料理にラップをかけて冷蔵庫に入れ、寝室へ行って寝ることにした。
ベッドに潜り込み、灯りを消して目を閉じると体の中を流れはじめる冷たい感覚。胸の中にある熱い溶岩のようなものが暗く深い穴の中に落ちていった後に、穴から立ち上っては体中を駆け巡る。
冷たい感覚は無意識のうちに良美の部屋の様子に神経を使わせ、熱い溶岩と共に俺の中にある蛍への想いを暗い穴に落としていくようだった。
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