Autographic 第十三話:咆哮

創作長編小説

 ――暗闇の中、背の高い草をかき分けながら歩き続けている。

 樹木に遮られて星明りも届かない山の中を、もうどれくらい歩いたのだろうか。後頭部からは血が流れ、痛む背中と右脚を引き摺りながら歩いていく。まるで、空襲後の焼け野原の中を、救助が来ないのが分かっているのに彷徨い続ける人々のように。

 僕の目の前には青いテントがひとつ。テントには灯りが点いており、暗闇の中に青く浮かびあがっている。

 誰かいると思い、ほっとしながら近付くと、テントがバタバタ音を立てて揺れ始めた。

 心臓がキュッと掴まれるような緊張が走って立ち止まると、テントの内側から人が両手を突き立て、そこから血が吹き出るように何本もの黒い線がテントに沿って流れ落ちていく。

 不気味な光景を目の当たりにし、逃げようとするも足が動かず、目もテントに釘付けになってしまう。

 そのうち、内側からテントを押していた手が布地を突き破り、黒い両手が飛び出してきたところで悲鳴をあげた。

(夢……)

 体がビクンとなり、自分の悲鳴で目覚めた僕は、体の痛みに耐えながら周りを見回した。

(落ちたみたいだけど助かったのか……)

 頭上は十メートルくらいの崖、周りは草むら、ゴツゴツする体の下はどうやら岩場のようだ。

 体中が痛い。特に頭と右足首と背中が痛む。後頭部を打ったらしく、右手で触るとヌルッとした感触があり、手を見ると赤く濡れていた。崖から落ちたときに後頭部を打ち、出血してしまったようである。おそらく頭上の崖を背中から滑り落ち地面に右足から着地、背後の大きな岩に頭を強打して意識を失ってしまったんだろう。着地のとき右足に全体重が乗り、足首を捻挫してしまったらしい。

 茂る木々の中、目の前の小さな渓流に透きとおった水が右から左に流れていた。

 顔の左横にあった水筒を血が付いた右手で掴み、蓋を開けて水を飲んでから上半身を起こすと、残っている水を左の掌に注いで後頭部を洗う。

(痛え……)

 頭髪の奥で、少し皮膚が裂けているのが感触で分かる。水筒の蓋を締めて立ち上がり、太陽の光が照り付ける川に向かうと岩に座って右足の靴と靴下を脱ぎ、右足を水の中に入れた。

 やはり右足首は腫れており、触るどころか動かすだけで痛みが走る。流れる冷たい川の水で右足首を冷やし、これからどうしようか考えていると、下流から物音が聞こえてきた。

 なんだろうと思い左を向き、二十メートルくらい先の川が曲がっているところで黒い影が動いているのが見えた瞬間、心臓が飛び出しそうなほどの光景が飛び込んできたのだ!

(熊だっ! 早く逃げなきゃ……)

 右足をそっと上げ、靴下と靴を履いたものの恐怖で体が動かない。熊は川の中を物色するのに夢中で僕に気づいてないのか、こちらに向かってくる気配はない。でも、この距離じゃ気づかれるのは時間の問題だ。

 震える体で必死に立ち上がり、熊を見ながら静かに後退りしようとしたとき犬の遠吠えのような咆哮が聞こえ、熊が僕の方を向いて立ち上がった!

 後ろ足で立つ熊の首には白い三日月模様の毛が生えており、両手には長い爪が生えているのが分かる。あんなのに襲われたらひとたまりもない。骨まで食べられ行方不明決定だ。山で遭難した人が見つからないのは、動物に襲われ食べられてしまい、遺体も残らないからなんだろう。

 後ろが崖であることに気づいた僕が、岩の上を歩きながら上流へ向おうとしたときだった。

 右手を見ると、岩の上に灰色と茶色と黒い毛が混じった大きな野犬が一匹おり、ジッと熊を見つめていたのだ!

(野犬……ゴローとハナより大きいぞ!)

 行く手を塞がれた僕はその場に立ち尽くし、呆然として熊と野犬を交互に見るしかできなかった。

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