ロックンロール・ライダー:第二十九話
アパートに戻り、掃除や洗濯をしながらダラダラ過ごして一日が終わり、翌朝、眠い目を擦りながら会社へ向かった。
今日は新しいプログラムのコーディングを終わらせ、コンパイルに入らなければならない。
出社してタイムカードを打刻し、皆に挨拶を済ませて雑談しながら席に着いた。
駒田主任も薮田さんも、机を睨むように黙々と仕事をしている。安田さんと馬場さんだって同じだ。
スターグラフのライブでダイビングしたためか、それともミーちゃんとハッスルしたためかなのか、なんだか体が怠い。
二時間ほどコーディングして終わりが見えてきた頃、一服するため席を立った。
「安養寺君、休憩ですか?」
声をかけられて振り向くと、薮田さんがこちらを向いている。
「ええ、ちょっと気分転換してきます」
「僕も行きますよ」
薮田さんが立ち上がって俺の前を歩いていくので、慌てて後に続いた。
休憩室に入ると、新井主任がコーヒーを飲んでいる。
「おぉ、薮田に安養寺君。二人とも頭が煮詰まったか」
「そんなところです。新井主任もリフレッシュですか」
「俺は吉原でリフレッシュしてきたよ」
新井さんの言葉に苦笑いしながらコーヒーを淹れて三人で雑談しているとき、ふと薮田さんがドラムをやっていた話を思い出した。
「薮田さん、そういえばドラムやってたんですよね」
「えぇ、僕は部活でドラムを叩いてましたよ」
「実は板野先輩とバンドを組むことになったんですけど、まだメンバーが見つからないんです。薮田さん、ドラムで参加しませんか?」
「板野さんのバンドかぁ……ヘビメタみたいな過激な音楽は苦手なんですけど……」
「いや、薮田さんが考えてるようなヘビメタとかじゃなくて、ロックンロールバンドです」
俺は薮田さんに断られないよう、ロックンロールバンドであることを強調した。明らかにヘヴィメタルバンドと勘違いしていると思われるからだ。
「エルヴィス・プレスリーとかビートルズみたいな音楽ですよ」
大嘘だ。パンクバンドなんてライブの荒れ方はヘヴィメタルよりひどいかもしれない。だけど、そうでも言わなきゃ薮田さんが参加してくれないだろう。
しばらく腕組みして考えていた薮田さんを見ていると、背後から新井さんの声が聞こえてきた。
「ロックバンド組むのか。ギターは決まってるの?」
「ギターは俺でベースが板野さんです」
「よし! じゃあ俺もギターで参加するからツインギターで演ろう! ボーカルは安養寺君か板野に任せる!」
「新井さん、ギター弾けるんですか?」
「俺は高校時代、キング・クリムゾンやピンク・フロイドのコピーバンドでギターを弾いてたんだ。おい薮田、お前も参加しろ! バンドやるぞ!」
突然新井さんが参加することになり、腕を組んで考え込んでいた薮田さんも半ば強制的に参加することになった。二人ともパンクロックなんて聞いたことなさそうだけど、これでメンバー決定だ。
本当はライブハウスや楽器店を回り、パンクスを探して誘いたい。だけど、早くバンド活動を始めたいのも偽りのない自分の気持ちだった。
板野先輩と話したとおり、ディスチャージとモーターヘッドとハスカー・ドゥを混ぜたようなハードコアパンクバンドをやる。
薮田さんにディスチャージなんか聞かせたら驚きそうだが、そんな音楽に慣れてもらわなきゃならない。まずはバンドをスタートさせることだ。
「薮田さん、一緒に演りましょうよ。後でラモーンズのテープ貸しますから聞いてみてください。スリーコードのシンプルなロックンロールですよ」
薮田さんに声をかけ反応を待っていると、コーヒーが入った紙コップを片手にうつむいて考え込んでる素振りのまま顔だけ向けた。
「分かりました。やっと入社してきた年下の後輩の誘いだし、僕も参加します」
「ありがとうございます!」
俺は薮田さんと新井主任に交互に頭を下げ、温くなったコーヒーを一気飲みして板の先輩の元へ走った。
「板野先輩!」
机に向かっている先輩の頭がガクンと落ちたとき、背後からの俺の荒げた声に反応したのか体をビクンとさせた。
寝起き顔で振り返る先輩の口元からは、一筋の涎が垂れ下がっている。
半開きの眼で俺を見る板野先輩は、一瞬の間を置き口を開いた。
「なんだよ。せっかくノリッペの上に乗ったところだったのに」
「先輩、寝てたんスか?」
ノリッペは板野先輩お気に入りのアイドルだ。きっと仕事中に芸能人と寝てる夢でも見てたに違いない。俺も先日、仕事中にウトウトしてしまい、AV女優にハードなプレイの手ほどきを受ける夢を見たので人のことは言えないのだが。
そんなことより、半分寝てる状態の先輩にメンバーが集まったと報告しなくては。
「先輩、寝てる場合じゃないっス。薮田さんと新井主任、俺たちのバンドに加入するそうですよ」
「新井さん? 薮田? コーラスグループじゃないんだぞ」
「新井主任、高校時代プログレバンドやってたらしいっスよ。薮田さんも吹奏楽部でドラム叩いてたって」
「プログレ? 長いギターソロなんかいらねえぞ。薮田もパンク聞いたことあるのかよ」
「メンバーも見つからないんだし、まずはバンド始めましょうよ。二人とも経験者なんだから、シンプルなロックンロール演るならいけますよ」
少しの間、遠くを見ながら考えているような顔をしていた先輩が、俺のほうを見て口を開いた。
「よし! 二人を入れてスタートさせるか!」
「そうっスよ。ダメだったら他のメンバーを探せばいいんですから」
「まずは土曜日にミーティングすっぺぇ。どんなバンドやるか説明しないとな。場所は高円寺のファミレスで午後一時集合だ」
「じゃあ先輩は新井主任に伝えてください。薮田さんには俺から言っておきます」
これで決まった。念願だったバンドがスタートする。ミーティングの場所は板野先輩の家の近所にあるファミレス。時間は十三時だ。
俺は板野先輩に別れを告げ、頭上に青空が広がったような晴れやかな気持ちで廊下を駆けていった。
自分の机に戻ると、既に薮田さんが戻っている。
周りの人たちが仕事に集中しているのを確認し、小声で薮田さんにミーティングのことを伝えた。
「薮田さん、さっき板野先輩と話したんですけど、土曜日にメンバー全員でバンドのミーティングやるそうです」
「どこでやるんですか?」
「高円寺のファミレスで、時間は十三時からです」
「分かりました。安養寺君の家は柴又ですよね。押上駅で待ち合わせて一緒に行きましょう」
薮田さんもバンドをやる気になったのか話が早い。
なんだか少しホッとし、俺はプログラムのコーディングを再開した。
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