ロックンロール・ライダー:第三話
荷物を詰めたバッグを持ち、まずは不動産屋から鍵を預かっている銀座の伯父の店へ向かう。
山手線の新橋で下車し、歩いて銀座へ。
伯父の家は銀座といっても外れにあり、新橋に近い。昔は木挽町といい銀座じゃなかったらしいが、戦後に銀座の一部となり地名が消滅してしまった。
今でも父や伯父は木挽町と言う地名に愛着があるらしく、料亭がたくさん並んでた当時の話を聞かせてくれることがある。
平日の午前中、埼玉の家なら長閑なひと時が過ごせるが、ここは東京。霞がかった春空の下を歩きながら目に入るのは、高いビルと首都高速道路、人と車ばかり。家では広々と見渡せる空が高層建築群で遮られ、狭く感じてしまう。
海岸通りを渡って銀中通りに入り、伯父の店の前にたどり着く。
「こんにちは」
十字路の角に立つ、古い洋食店のドアを開けると伯母が振り向いた。
「お父ちゃん、晃ちゃんが来たよ」
「おう晃、来たか」
厨房で料理を作っていたらしい伯父が顔を出した。まだ昼前だが、席にはお客さんがちらほら座っている。
仕事の邪魔をしては悪いと思い、単刀直入に用件を伝えた。
「アパートの鍵を取りに来たんだけど」
俺の言葉を聞き、伯母さんがレジの後ろの棚から封筒を取り出し、目の前に差し出した。
「晃ちゃん、お昼まだなんでしょ? なにか食べていけば?」
「あぁ、久しぶりにオムライスでも食っていくかな。あ……伯父さん、普通の量でいいからね」
「江戸っ子が遠慮してんじゃねえや! この野郎!」
伯父さんが厨房へ引っ込んだので、俺も座席に腰掛けた。
(なんで江戸っ子は、言葉の最後に「この野郎」とか「馬鹿野郎」を付けるのかなぁ……)
俺もここで生まれたけど、父の仕事の関係で幼稚園のとき埼玉に引っ越した。でも、伯父からすると、俺も江戸っ子のうちという感覚なんだろう。
つらつらと考え事をしながら待っていると、伯母さんがオムライスを運んできた。
「はいよ晃ちゃん!」
(デカい……)
普通でいいと言ったのに、やっぱり二人前くらいある。これじゃあ食い終わったらしばらく動けそうもない。
オムライスは伯父の店の看板料理だった。歌舞伎座や新橋演舞場が近いため、役者や歌手が頻繁に訪れ、テレビや雑誌で勝手に紹介してくれる。そのため、雑誌に載ったりテレビの取材があったりす度に大勢のお客さんが来店した。
この前テレビで紹介された時など、わざわざ北海道から夫婦でオムライスを食いに来たとかで、伯父も伯母も驚いたらしい。客を捌ききれなくなるので、最近ではテレビや雑誌の取材は断るようにしているとのことだ。
オムライスを食べ終わり、伯母さんが持ってきてくれたコーヒーを飲んでいていると、徐々に店内のお客さんが増えてきた。
(邪魔になるからアパートへ行くか……)
壁にかけてある時計の針は十二時を過ぎている。受け取った封筒と荷物を持って席を立ち、伯母さんに声をかけてから厨房を覗き込み、伯父さんに挨拶した。
「店も混んできたから行ってみます」
「住所とアパート名は封筒に入れた紙に書いてある。困ったことがあったら連絡しろよ」
「分かってるって。伯母さん、ごちそうさまでした」
「晃ちゃん、これから仕事頑張ってね」
店外に出て封筒の中を見ると、鍵とメモが入っている。鍵をジーンズのポケットに入れ、紙を見ると住所が書いてあった。
(葛飾区柴又四丁目、リバーブラボー柴又二〇一号室。高砂駅下車、線路沿いを柴又方面に歩いて自動車学校前の丁字路を左に曲がり、次の丁字路を右か……)
名前からしてブラボーなアパート。これは独り暮らしが楽しいものになるかもしれない。
駅前にある不動産屋のガラスに貼り付けてある物件を見ると、この辺りのアパートの家賃は五万円前後が相場。だが、俺が住むアパートは、伯父が知人の不動産屋で探してくれたためか一万五千円も安かった。
ラッキーだったと思いながら、メモを頼りに歩くこと十五分。道路の右手に自動車学校があったので丁字路を左に曲がり、次の丁字路を右に曲がる。
そのまま住宅街を歩いていくと、右側に二階建てのアパートが建っていた。
(リバーブラボー柴又……ここの二階だ)
昔のドラマに出てくるような「〇〇荘」という感じの古い木造アパートを想像していたが、意外にも外観はお洒落な感じである。薄いブルーの外壁で、塀も門もアメリカの住宅のような外観だった。
階段を昇って二〇一号室のドアの前に行き、ポケットの鍵を取りだし部屋に入る。
外回りをリフォームしただけで室内は和室かと思ったが、床はフローリングでユニットバスがあり、冷蔵庫とエアコンが備え付けだ。これで月三万五千円なんて相当安い。
靴を脱いで部屋に上がり、荷物を置いて窓を開ける。ベランダには、話しに聞いていたとおり洗濯機も置いてあった。
電気や水道、ガスの手続きをするため書類を取りに後ろを向くと梯子が目に入り、中二階のようなロフトに伸びている。
(ロフト付きかぁ……)
事前に連絡しておいた電話回線も今日中に使えるようになるはずだし、引っ越しの荷物が届くのは午後三時の予定だ。
荷物といってもテレビにラジカセに電話、布団と洋服と日用雑貨、それにギターだけだし、幸いにも手荷物に筆記具が入っている。今のうちにライフラインの契約書を書いておこう。
書類を取って全て記入し、少し横になってウトウトしているとチャイムが鳴った。
「ジェットボーイ引っ越し便でーす」
ドアを開けると男が二人立っている。
「ご苦労様です」
「荷物を持ってきたんですけど、部屋の中に入れちゃっていいっすか?」
「お願いします」
荷物を持って入ってくる業者に居場所を奪われ、部屋の片隅に立ち尽くす。そのまま見ていると、男たちは何度か往復しただけで全部の荷物を運び入れ、書類にサインを求めてきた。
「お荷物になにかございましたら、記載されてる番号まで電話をお願いします」
アンケート用紙と控えを置いて業者は帰っていったが、今度は俺が荷物の整理をする番だ。ダンボール箱から荷物を取り出して服と布団はクローゼットへ、テレビと電話は床に置く。
歯ブラシやタオルなどの日用品をユニットバスに置き、電話にコードを繋げて受話器を取ると、もう使えるようになっている。
水道局に電話をすると、明日手続きに行くので元栓を開けて使っていいとのこと。残る電気とガスの使用開始依頼をし、コンビニで夕食を買ってくることにした。
今日は引っ越しで疲れた。テレビでも見ながら弁当でも食って、早めに寝よう。
一番星が輝きはじめた空の下、どこに何があるか少し探検してみようと思い、柴又という知らない街の路地を歩きはじめた。
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