Heaven Sent:第十六話

創作長編小説

 自分の人生を他人の人生と比べるなんて、とっくに止めてる。人様を羨むより、あきらかに人より恵まれてない自分の人生、明日どうなるかなんて考えず今を生きよう、昨日より今日を良くしようと生きてきた。だけど今の俺の在りようはどうだ? 日々悪くなってるとしか思えないじゃないか。

 山から吹き下ろしてくる冷たい風に肌を切り刻まれるようで、傷口から悪霊でも染み入ってくる感じがする。真冬の柔らかい日差しに照らされて少しだけ傷口が塞がれるような気がするが、陽光が体を貫く今も明るい気分になれない。できることなら、深い穴の中にでも落とされて隔離されたい。

 下を向いたまま歩き続けて実家に到着すると、親父が玄関まで出てきた。

「理恵子さんとはどうなんだ? もっと話し合ってみたらどうだ。離婚なんて、お前たちが考えてるほど簡単なものじゃないんだぞ」
「お父さんの言う通りよ。離婚なんて簡単にしないで、もっと二人で話してみたら」

 お袋も玄関に顔を出し、親父とともに理恵子と話し合うように言う。でも、二人とも分かってるはずだ。理恵子の親兄弟は貧乏人の小倅である俺との結婚に消極的だったし、見栄張りで派手好きな理恵子が自分から頭を下げて戻ってくるとも思えない。彼女に負けず劣らず我の強い母親も、理恵子が離婚したいと言い出したらキャンキャン吠え、全て俺が悪いと決めつけて「甲斐性がないダメ男に理恵子が三行半を突きつけて離婚した」と吹聴し、娘の行為を正当化するに決まってる。父親の従弟に官僚のトップにまで昇り詰めた人がいるだけあって、二人ともプライドが高かった。たとえ娘が悪くても、自分から頭を下げてまで元の鞘に納めさせる母親とは到底思えなかったし、母親の言葉だろうと聞く耳を持つ理恵子じゃない。

「俺の名義でローンを組んで買った物どころか、布団や照明器具まで根こそぎ持って行った女なんだぜ? 今さら話し合いに応じると思う? それに、あの母親が出てきて、全て俺が悪いって言って自分の娘を正当化するに決まってるさ」

 親父もお袋も、下を向いて沈黙した。結婚前に顔合わせをしたとき、理恵子の母親のプライドの高さを感じた親父とお袋が、帰りの車の中でチクリと俺に嫌味を言ったことがある。立派な親戚がいる人は、自分が立派じゃなくても人を見下すんだな、と。それで一度、結婚を思い止まろうとしたことがあった。死んで当然の大怪我をしても苦労して家を建て、俺たち三人を育ててくれた両親に嫌な思いをさせたくなかったからだ。しかし、理恵子は俺との結婚に突き進んでいたし、俺も理恵子が好きだという気持ちを断ち切れず、二人は結婚することになった。

 二階にある自分の部屋へ行き、床の上で仰向けに寝転び目を閉じた。心の中で、袋小路に迷い込んだまま土砂降りの雨にさらされた、寒さと孤独に震えるビショ濡れの負け犬が吠えてるのが見える。ずぶ濡れの負け犬は頬を伝う涙を雨で誤魔化し、ひたすらガムシャラに吠え続けていた。

にほんブログ村

創作長編小説