ロックンロール・ライダー:第六話

創作長編小説

 気怠けだるい午後の昼下がり、帝釈天と柴又駅の間を通る道を、春の日差しを浴びながら昨日とは反対方向に歩く。

 ガソリンスタンド、コンビニ、焼き肉屋、埼玉の実家付近では絶滅してしまった畳屋も営業している。

 散歩がてらニ十分ほど歩いて葛飾区かつしかくから江戸川区えどがわくへ入ると、左手に京成小岩けいせいこいわ駅があった。

 この辺りで路地に入り、知らない道を歩いて帰ってみようと思い立ち、京成小岩駅前の信号を右へ曲がり、四つ目の信号を再び右へ。

 どこをどう歩いてるのか分からないが、迷子になったみたいで面白い。感を働かせながら踏切を渡って線路沿いを歩いていくと、アパート近くの自動車教習所の横に出た。

(へぇ、こんな位置関係なんだ……)

 なんだか少しだけ柴又周辺を理解した気分になったが、腕時計を見ると二時間以上歩いており、さすがに疲れた。駅で定期券を購入し、夕食の買い物をしてひと眠りしよう。

 そのまま高砂駅へ向かって定期券を買い、途中のコンビニで食べ物とビールを購入、アパートに戻ってゴロリと横になった。

 ――目が覚めると部屋の中が暗い。

 手探りで電気を点けて目覚まし時計を見ると、夜八時近くになっている。

 シャワーを浴びてコンビニで買ったインスタントラーメンを作り、バラエティ番組を見ながら手巻き寿司と共に食べはじめた。

 テレビの音声だけが響く室内、昨夜感じた孤独感に襲われはじめ、急に寂しくなってくる。

 食器がなく、片手鍋のまま食べていたラーメン。

 床に置いてある、残ったスープにぼんやり映る自分の顔を見ていると思考が停止し、己の存在が孤独に埋もれて消えてしまいそうだった。

 どれくらいの時間スープを見つめていたのか分からないが、気が付けば涙があふれて雨粒のように鍋の中に落ちている。

 独りになることが、こんなに辛いなんて思わなかった。人は皆、孤独におびえて群れを成し、寂しさを誤魔化しあっているのかもしれない。

 リモコンを取ってチャンネルを回し、日本語吹き替えでダサくなった洋画を見て気を紛らわす。

 今の俺には不似合いな恋愛映画。お決まりのストーリーに都合よく向えるハッピーエンド。面白いと思えなかったが惰性で最後まで見て、夜のニュース番組が始まったところで寝ることにした。

 電気を消して布団の中で目を閉じるものの、昼寝をしてしまったため寝付けない。それどころか、隣の部屋から夕べと同じく女の声が聞こえてきたのだ。

(クソッ……今日もヤッてやがる!)

 うめいてるような女の声が、徐々にリズミカルに甲高くなってくる。

 だが、連中の顔を見てしまった俺の脳内では、カバに組み伏せられたウマヅラハギが態勢を変え、腹の上で跳ねまわる光景しか想像できない。

 コメディのような悪夢の妄想。

 だんだんイライラしてきて頭から布団を被るものの、女の声は次第に大きくなる。

 テンポ良い女の声を聞いてるうち、脳内の妄想がカバとウマヅラハギの格闘から蕎麦屋の娘の揺れる胸に変わり、なんだかムラムラした気分になってきた。

 布団から起き上がって腰を引きながらトイレまで歩き、パンツを膝まで下ろして便座に腰掛ける。

(うん、これは訓練を欠かすなっていう天の啓示に違いない!)

 将来のために必要なことなんだと自分に言い聞かせ、手早く下半身の欲望を吐き出す。

 スッキリしたところで布団に戻って寝たのだが、隣の部屋には毎晩のように男が訪ねてきて、ほぼ毎日ベッドで格闘しやがる。

 俺も訓練になるので文句を言う気はないが、そんな日々に多少ウンザリしながら数日過ごし、とうとう四月の入社式を迎えた。

 スーツを着て高砂駅まで歩いていき、満員電車に詰め込まれて身動きできぬまま日本橋駅に到着。

 吐き出されるように地下鉄を降り、人の流れに身を任せたまま階段を昇って会社を目指す。

 会社に到着すると、受付で面接のときにいた化粧の濃い女が他の女とお喋りしていたので、どこへ行けばいいのか尋ねてみた。

「すいません、新入社員の安養寺ですが……」

「おはようございます。タイムカードを打刻して、右奥の部屋に入ってください」

「ありがとうございます」

 ドアを開けて入ろうとすると、背後から受付の女の声が聞こえた。

「入社書類をお預かりします」

「あっ、どうも」

 バッグから封筒に入った書類を取り出し、受付の女に渡す。胸の名札には「磯崎」とあった。

(厚化粧、磯崎っていうのか……)

 お面のように顔から外れそうな厚い化粧、おでこの上でくるりと髪を巻く今どきのヘアスタイル。どうも俺は、あのヘアスタイルが好きになれない。サザエさんを思い出してしまい、もの凄くダサく感じるのだ。

 受付横のドアを開けて中に入ると、左側の壁面に並べてあるタイムカードの右端に「新入社員」と書かれた場所がある。そこから自分の名前が書かれたカードを取り、タイムレコーダーで打刻して右奥の部屋へ入った。

「おはようございまーす」

 会議室と表示されたドアを開けると、並べてあるパイプ椅子に座っている、新入社員と思われる男女が一斉に俺の方を向く。男女合わせて三十人くらいいるだろうか。

 ここは確か、面接をした部屋だ。俺もバッグを抱えて一番後ろの空いてる席に腰掛け、入社式が始まるのを待つことにした。

 壁に掛けてある時計は九時十分前。貧乏ゆすりをしながら待っていると五分くらいで数人が部屋に入ってきて、前に並べてある椅子に座っていく。

 最後に偉そうな男たちが着席して座席が全て埋まると、面接をした桑原氏が立ち上がった。

「それでは全員揃ったようなので、入社式を始めます」

 社長の挨拶から始まり、専務、常務、各部長が話し、最後に新入社員が自己紹介して入社式は終了らしい。

 前に座ってる奴から順番に立ち上がり、新入社員の自己紹介が始まった。

(なんだよ、みんな大学卒業じゃあねえか……)

 俺以外、四年制大学か短大卒業だ。誰か高卒はいないか聞き耳を立てていたが、俺の横に座ってた女まで全員大卒である。しかも、みんな仕事への抱負や自分の目標を話してるのだ。

 隣の女の自己紹介が終わり、最後に残った俺の番がきたので立ち上がった。

「安養寺晃です! 埼玉県立本庄南高校出身、パンク、ハードコア、ガレージ、サイコビリーを聴きます! ジョニー・ラモーンみたいにギターが弾けるようになるのが目標です! 分からない事だらけですが、いろいろ教えてください! よろしくお願いします!」

 仕事への抱負なんてなにもない俺が半ばやけっぱちで喋ると、ドッと笑いが起こる。

 ムカつきながら腰掛けたところで、社長が立ち上がって話はじめた。

「安養寺晃君、元気があってよろしい! 新入社員の皆さん、これから我が社の一員として頑張ってください!」

 社長の締めの言葉が終わり、席に座ると桑原氏の声がした。

「では、これにて入社式を終了いたします」

 社長以下が退出すると、部屋に残された新入社員に向け、人事部の桑原氏から新人研修の予定が発表された。

「今日から五月十三日まで、この部屋で新人研修を行います。本日は昼食後、人事部から社会人としての基本的なマナーの講習があります」

 桑原氏の話が終わった直後、会議室のドアが開き、受付にいた磯崎という女が入ってきた。

「桑原課長、安養寺晃さんいらっしゃいますか?」

「どうしたの?」

「入社書類に書かれてる漢字が間違ってるので、訂正していただきたいのですが……」

 再びドッと巻き起こる笑い。

 怒りで顔をピクピクさせていると桑原氏の声が聞こえてきた。

「安養寺君、磯崎さんと一緒に行って直してきなさい」

 俺は眉間に縦皺たてじわを寄せて立ち上がり、顔面をピクつかせたまま厚化粧女の後に付いて会議室を出ていった。



創作長編小説

Posted by Inazuma Ramone