夢幻の旅:第二十話

創作長編小説

 人目に触れないよう店の裏側へ回り、周囲に人がいないことを確かめてから胸のポケットにある煙草とライターを取り出し、左手に持った煙草の先に火を点ける。

 ライターを胸のポケットにしまいながら煙を深く吸い込み、吐き出しながら煙草を右手に持ち替えたと同時に、ズボンの左ポケットから携帯灰皿を取り出し、しゃがみ込んだ。

 ニコチンが肺から血液に流れ込み、全身の血管が収縮するような感覚。ここ何ヶ月か続いている目眩やだるさも相まって、意識が飛んでいきそうになる。

(最近、蛍が来てないなぁ……)

 良美が出ていった日から、どうしたことか蛍も姿を現さない。毎日のように楽しみにしてた娘との会話もできず、精神的にも肉体的にも疲労が溜まっている。せめて蛍の顔だけでも見れれば、こんな疲れなんか吹っ飛んでしまうのだが……。

 出ていった日から連絡がつかず、良美と話し合う機会もないままだ。お義母さんに言伝ことづてを頼んでおいたが、一週間たった今でも連絡がない。

 蛍を引き取り、良美と三人で仲良く暮らせるに越したことはないが、所詮、夫婦は他人だ。良美が俺の過去の行為を許せないのであれば最悪離婚、蛍を引き取り、親子で暮らしていくことも視野に入れておかなければならない。もっとも、蛍が俺と暮らしてくれればの話だが。

 青空に浮かぶ白い雲に交じっていくように立ち上る紫の煙。そのスクリーンに蛍の顔を映しながら煙草を一本吸い終わり、体調不良のためか精神的疲労かも分からない目眩めまいに耐えて立ち上がると携帯灰皿に吸殻を入れ、ズボンのポケットに捻じ込んで仕事に戻った。

 売り場でブックカートに並べた文庫本を棚にし、売れ行きが悪い平積み本を下げて新たに入荷した商品を平積みしていくが、ライトノベルを陳列しはじめるとガクッとペースが落ちる。

 日本文学は楽なのだが、ライトノベルは読んだことがなく馴染みが薄いジャンルなので、当て字で書かれた著者名すら読めなかったりして苦手なのだ。

 南側の窓の外を眺めると強い日差しが差し込んできており、店内の温度を上昇させている。そのためなのか目眩どころか吐き気までしてきて、いまにも倒れそうになるのをこらえて仕事をしていると、パートの野口と宮下に声をかけられた。

「コミックのフェアなんですけど、切り替えは商品が揃ってからにしますか?」

「そうしよう。まだメインの商品が入荷してきてないだろう? 売り場の切り替えは、それが入荷してきてからだ」

「分かりました。店長、顔色が悪いですけど大丈夫ですか……」

 そう野口に言われたとき、突然、目の前が真っ暗になり体が宙に浮くような感覚になった。

「キャーッ!」

「店長!」

 頭や体を何かに打ち付け、野口と宮下の悲鳴が聞こえたところで、俺の店内での記憶は途切れていた。



創作長編小説

Posted by Inazuma Ramone