夢幻の旅:第七話
蛍は女性誌を一冊抱えてニコニコ微笑みながら、顔を向けただけの俺を見つめている。
一瞬ドキリとし、抱きしめてしまいたい衝動に駆られるものの、なぜか同時に罪悪感が沸き起こり、一歩踏み出そうとした足が止まった。
「雑誌を買いに来ました! 今日は仕事が終わるの、何時ですか?」
元気な声で喋る蛍を見ながら右手に持っている本をカートに置き、蛍に向き直ってから答えた。
「あぁ……仕事は五時くらいに終わるかな。蛍ちゃんは今日暇なの?」
「今日は何も予定がないんです。五時に来ればお話しできますね」
「話か……じゃあ、店の横の小川で待ってるよ」
「分かりました。また来ます」
そう言うと蛍は雑誌を抱えたままレジへと歩いていった。
彼女の後姿を眺める自分の顔が、いつの間にか笑顔になっているのに気づくものの、意識してもなかなか元の顔に戻せない。俺の方を見て手を振り、店を出ていく蛍に右手を挙げて見送ると、再びダンボール箱に入っている本の仕分けをはじめた。
新刊書籍を分け終え売り場に出し終わる頃、レジで作業していたスタッフの宮下が、台車ごと付録を付け終えた雑誌を運んできて不審そうな顔で俺を見ている。
「店長、大丈夫ですか?」
「えっ……大丈夫だよ」
きっと、この娘は俺が蛍と話してたのを見てたに違いない。所帯持ちの俺が若い女と楽しそうに話してたのを見て、助平親父が鼻の下を伸ばしてるとでも思ってるんだろう。
レジへ戻った宮下は、同じスタッフの中林と野口と三人で集まり、怪訝そうな顔で俺の方を見ながらコソコソと何事か喋っていたが、女の噂話なんか気にしてたら仕事が終わらない。今日は五時までに終わらせて蛍に会わなきゃならないんだ。
足早にレジまで歩いていき、無駄話なんかしてないで仕事に戻るようスタッフに注意すると、俺は付録付き雑誌を出し終え昼休憩に入った。
良美が作ってくれた弁当を電子レンジで温め、食い終わると店外の喫煙所でコーヒーを飲みながら煙草を一服。この、煙草とコーヒーの相性の良さは、煙草を吸っている人間じゃないと分からない美味さだろう。それに、店舗の周りを取り囲む山を眺めながら煙草を吸うひと時が、仕事で擦り減る俺の心を癒してくれる。
ひと息ついたところで休憩時間が終了し、売り場に出て他のスタッフを休憩に入れてから補充分の書籍を出しはじめた。三時までに本を売り場に出してしまえば事務仕事も終わらせられる。
俺は他のことをスタッフに任せて一心不乱に品出しを行い、なんとか五時ちょっと前に全ての仕事を終わらせられた。
出勤してきた夜間アルバイトの朝礼を行い、タイムカードを打刻して店舗横の小川に行き山の向こうに落ちる夕日を眺めていると、生温かい風が周辺の草を揺らしはじめる。
(このところ暖かくなってきたな……)
「店長!」
体に当たる風と草の匂いを感じていたら、背後から声をかけられ振り返った。
「蛍ちゃん」
向こうから、夕日に照らされオレンジ色に染まる蛍が歩いてくる。
蛍が目の前まで来たとき、俺は夕べ風呂に入りながら考えていたことを思い出し、思わず口に出した。
「なぁ蛍ちゃん、なんで蛍ちゃんは俺に会いに来るんだ?」
突然の俺の言葉に、蛍はキョトンとした顔をしている。
不思議そうな顔をした蛍は、一瞬間を置き俺の質問に答えた。
「なんでって……お父さんに会いに来ちゃいけないの?」
今度は、俺が絶句する番だった。
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