Autographic 第二十六話:困惑
「おじさん、思い出したよ! ロボは三年前の夏、両神山で怪我してた子犬だったんだ!」
おじさんは思い出すような顔をしながら助手席に座る僕の顔を見つめ、再び正面を見ながら口を開いた。
「あ~、あのとき拾った子犬かぁ」
おじさんも両神山での出来事を思い出したらしい。しばらく首を捻りながら無言で運転していたが、さっきまでより表情が険しい。
「あのときの子犬か……」
なぜか残念そうな声で一言呟いたおじさんの顔は、今まで見たことがないくらい厳しい眼をして運転している。僕は言ってはいけないことを言ってしまったのかと思い、おじさんから窓の外に広がる夕暮れの景色に眼を移した。
山の向こうに沈んでいく太陽がオレンジ色に染めていた空も、間近に迫る夜の闇に飲み込まれるように暗くなってきている。
車内の雰囲気を察したのか、おじさんが音楽を流しはじめた。
聞こえてきたのは、おじさんが好きな「The Who」という昔のバンドのSubstituteという曲。恋のピンチヒッターという邦題で、綺麗なメロディの曲だ。英語が聞き取りやすく、去年の夏休みにレコードを聞きながら歌詞カードを見て歌い、覚えたのだ。
英語の先生に珍しがられ、恥ずかしいことに教室で歌わされたが、英語の先生が他の先生方にも話したようで、音楽の時間にクラス全員で歌うことになった。
英語の先生も歌詞を和訳して教材として使い、「crocodile tears」が嘘泣きの意味だと知って英語への興味が出てきたのを覚えている。
音楽を聴きながら小さな声で歌っていると、後ろにいるゴローやハナ、ロボまで音楽に合わせて遠吠えをはじめた。横を見ると、運転しているおじさんも小さな声で一緒に歌っていた。
「秀人、和美に電話してやるから明日帰れ」
みんなで一曲歌い終わると、おじさんから明日帰るよう話しを切り出された。明日は月曜、帰る予定は火曜日だし、まだ一日ある。
「なんで? 火曜日まで泊まってちゃ駄目なの?」
「病気の治療中なのに怪我したんだ。帰って病院で怪我の治療をして、検査してもらわなきゃ駄目だ。万が一ってこともある」
仕方がない。足首を捻挫したんだ。それに誰にも言ってないけど、頭も怪我してる。溜息をつき、どんどん暗くなってくる景色を見ていると、脳裏に病室が浮かんできて恨めしくなってくる。せっかくロボと再会して連れ帰るのに、また離れてしまうのか……。
「おじさん、退院したらまた来るから、ちゃんとロボの世話してね」
「分かってるよ。次に来るときまでに狂犬病の注射もしといてやる」
オレンジ色から暗闇になった山道を走る小さな軽自動車の中、僕は失意で何も考えられなくなった。明日、ロボとゴローとハナを連れて赤平川の河原で遊ぼうと思っていたのに、帰って病院へ直行だ。
やがて暗闇の中を走る車は家に到着し、三匹の犬を檻へ入れて猟の道具を降ろし、僕らは家の中に入った。
おじさんが母さんに電話して僕が足首を捻挫したことを話すと、電話の向こうの母さんが大きな声で何か言っているのが分かる。おじさんは、僕が怪我してしまったことを謝りながら母さんとの話を終え、受話器を置くと溜息をついた。
「和美に怒られちまったい。まぁ、お前が怪我したんだし、仕方なかんべぇ。秀人、犬に鹿の肉を食わせてやってこい」
そう言うとおじさんは台所へ行き、夕食の準備を始めた。僕も納屋へ行き、今日獲った鹿の脚を鉈で三等分して犬小屋へ持っていく。匂いで判るのか、犬たちは興奮して檻の中で激しく動き回っている。
鉄格子の間から一匹づつ餌をやり、水を入れた容器を置いて僕は家の中へ戻ったが、病院へ戻る失意の中で特に何もする気が起こらず、夕食を食べ早々に床に就くことにした。
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