夢幻の旅:第十一話
翌朝、目を覚まして出社したものの、どうやって蛍のことを話そうか頭がいっぱいで仕事が手につかない。大事な話だし繊細な事柄なので、良美を怒らせないよう慎重に事を進ませたい。
昼休みに健康診断を受けた病院へ電話し、糖尿病検査の予約を入れて仕事に戻った。
検査予約は明日に入れてもらえたものの、今度はもうひとつの気になっていることに気を取られている。眼に涙を浮かべて夕闇の中を走り去った蛍のことが心配だが、さすがに今日は来そうにない。それでも蛍が来るかもしれないと思い、入口の方を見てしまう。
まるで自分の心のように曇った空模様、その空を見ながら入店客を気にし、風に揺れる樹木の枝にも蛍が来たかと反応してしまう自分がいる。そんな自分が馬鹿馬鹿しくなり、仕事に集中して定時に帰ることにした。
ロッカーから荷物を取り出して休憩室を出ようとしたとき、「ピシッ、パキッ」と音がし、周りを見ると窓がガタガタ揺れている。地震かと思い慌てて休憩室を出ると地震は静まったらしく、店内は揺れてない。
ホッとして従業員に挨拶し、店舗を出て駐車場へ行くと、俺の車の横に誰か立っている。
「蛍ちゃん……」
神妙な顔で立っている蛍を見て俺は胸を撫で下ろした。これで心配事のひとつが解決だ。
手招きで蛍を呼び寄せて一緒に川の畔まで歩いていき、俺は首から下げているチョーカーを外して蛍に見せた。
「これ、お母さんとペアで作ったやつだ。ふたつ一緒に持っててくれ」
「うん!」
傾きはじめた夕日でオレンジ色に染まっている蛍の顔を見ながら、風に揺れる髪を掻き分けてチョーカーを首に掛けた。
蛍の首から下がっているふたつのチョーカーを見ていると、不覚にも涙がこぼれ落ちてくる。これで明子と俺はひとつになったのだ。明子が亡くなったことも娘が生まれたことも知らず今まで生きてきた自分への悔恨の涙。これからの俺の人生は、蛍を幸せにするための人生でなくてはならない。
首から下がったふたつの水晶を手にする蛍を見て、俺は今後の自分の生き方について考えを巡らせたが、蛍のためにも良美に伝えなくてはならない。
蛍の手を取り、他愛ない話をしながら川の横を歩いていると、不意に蛍が立ち止まった。
「店長のこと、これからお父さんって呼んでいい?」
「もちろん。親子なら当たり前のことだろ?」
そう言うと蛍は嬉しそうに頷き、照れ笑いを浮かべながら俺の手をギュッと握り締めた。
そんな我が娘の姿を見てたまらなく愛おしくなり、蛍を抱き寄せて耳元で呟いた。
「明日は病院で検査する日だから明後日おいで。また話をしよう」
「うん、今くらいの時間に来る」
そう言って、後ろを向いて何度も手を振りながら帰る蛍を見送り、俺は車に乗り込んだ。
今日こそ良美に蛍のことを言おう。妻に秘密を作るのは良くないし、なにより蛍の幸せのために。
暗闇が支配しはじめた世界の中で、国道を走る車のライトを一筋の光明とダブらせながら、どうやって良美に蛍のことを切りだすか考えていた。
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