夢幻の旅:第八話
――お父さん? なに言ってるんだ、この娘は……。
突然の事で頭が混乱して言葉が出てこない。あたりまえだ、俺に子供はいないんだから。
もしかしたら、この娘は頭がおかしいのかもしれない。いや、ひょっとしたら新手の詐欺なのか?
絶句したまま蛍の顔を見つめていると、彼女は俺の眼を見つめたまま言葉を続けた。
「私、ずっと一人だったし、私のお父さんはどんな人なんだろうって、いつも想像してたの。でも、おじいちゃんが、お父さんはここで働いてるって教えてくれたから会いに来ちゃった」
そう言って、蛍は肩に下げているポシェットから何か取り、俺の前に差し出した。
「明子……」
蛍が俺に見せた写真には、俺が二十三歳のとき付き合っていた彼女、町田明子が映っている。
明子が妊娠してたなんて聞いてない。それに、別れてから二十七年も経ってるんだ。とっくの昔に明子も結婚し、幸せな家庭を築いてるものだと思っていたが、蛍は「ずっと一人だった」と言う。
突然の蛍の言葉に動揺していた俺は突き付けられた写真でさらに混乱し、事態を飲み込めないまま聞き返した。
「ちょっと待ってくれ。ずっと一人だったって言ったけど、お母さんは? この写真に映ってる人がお母さん?」
「お母さんはずっと前に死んじゃった。今はおじいちゃんと二人でいる」
――死んだ? 明子が……?
頷いて答える蛍の口からは、俄かには信じられない話しが飛び出してくる。蛍は明子の子で、明子が亡くなった後、一人で暮らしてきたという。
明子は俺との結婚を意識していたし、明子の父が反対しなければ俺は明子と結婚していただろう。
明子の家は、母親を癌で亡くしてから、父親と一人娘である明子との二人暮らしだった。林業を生業としていた父親は杉を伐採していて事故に遭い、左半身が麻痺してしまっていたのもあってか、明子が結婚して離れた街に行ってしまうのを頑なに反対し、父親を一人にできないという明子から別れ話を切りだされたのだ。
明子が亡くなってから一人でいたということは、体が不自由で幼い蛍を育てられない父親が孤児院に預け、大きくなってから手元に引き取ったのかもしれない。
しかし、唐突に俺の子供と言われたり明子が亡くなったと言われて信じていいものか? どこかで写真を手に入れ、詐欺のネタに使ってるんじゃないかという不安が拭いきれないでいる。そうでなければ、いくら実の父親といえど会ったこともない男に馴れ馴れしく近づいてこないはずだ。
俺は蛍に不安を悟られないよう、なるべくソフトに話した。
「蛍ちゃん、それは俺と明子さんが映ってる写真だけど、俺は明子さんと結婚してないし子供ができたって話も聞いてない。いきなり蛍ちゃんにお父さんって呼ばれても、すぐに信じることはできないよ」
俺の言葉に蛍は顔を曇らせ、首に付けていたものを外して俺の前に差し出し、声を荒げた。
「おじいちゃんは嘘なんか言ってない! ぜったい店長が私のお父さんだよ!」
蛍が見せたのは水晶のチョーカーだった。綺麗にカットされて先が尖った形が気に入り、名前を彫ったタグを付けてペアで作った水晶のチョーカー。
水晶を持つ蛍は目に涙を浮かべて俺を睨み、少し後ろに下がってから走り出した。後を追おうとしたが、蛍の背中に拒絶されてる感じがして脚が動かない。
立ち尽くしたまま蛍が見えなくなるまで見つめていると、自然と涙が溢れてくる。俺と明子がペアで作った、他の人が知るはずもない水晶のチョーカーまで持ってるなら、蛍は本当に俺の子なんだろう。
愕然としてしまい絞り出すような泣き声しか出せず、川の畔にしゃがんだ。
「かわいそうなことをした……」
知らなかったとはいえ、我が子に孤独な人生を歩ませた自分が許せなくなり、泣いたまま暫く立ち上がれなかった。
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