ロックンロール・ライダー:第十九話
仕事に戻り、再び始まるプログラムとの格闘。
向かいの席に座る薮田さんを見ると、左手で頭を抱えながら体を揺すっており、なにかブツブツと呟いている。
(集中しすぎて独り言でも言ってるのか?)
薮田さんがなにを言ってるのか気になってしまい、自分の仕事に集中できない。どうしても呟いていることを知りたくなり、話しかけてみた。
「薮田さん、さっきから独り言を喋ってますけど、なにを言ってるんですか?」
俺の問いかけに、薮田さんが顔を向け口を開いた。
「僕は仕事で壁にぶつかったとき、ブルース・リーの言葉を思い出して奮い立たせるんです」
「えっ! 薮田さん、ブルース・リーのファンなんですか?」
「えぇ、大好きですよ。子供の頃、雑誌の広告に載ってた截拳道講座も買いましたから」
「俺も截拳道講座買いましたよ! でも意外だなぁ、薮田さんがブルース・リーのファンだなんて」
「子供の頃、ヌンチャクを振り回して遊んだ世代ですからね。僕はブルースの、哲学的な言葉に惹かれるんです」
俺も近所の大工から丸い棒をもらい、手作りのヌンチャクを振り回して友達と遊んだ。中には自分の頭を強打し、額から流血してもブルース・リーの真似を続けた奴までいたほどだ。
「ヌンチャク、懐かしいですねぇ。俺も遊びましたよ。ブルース・リーの言葉って、たしかに映画の台詞も哲学的ですよね」
薮田さんの言葉に、咄嗟に相槌を打った。
中学生の頃までは俺もそう思っていたものの、今になってみれば、詠春拳を中心に人のものから自分に都合がよいところだけを摘まみ食いして、さもオリジナルだとばかりにハッタリをかます、いかにも中国人的な思考回路だとしか思えない。それに、截拳道講座も武術講座と呼べるようなものではなく、香港の雑誌記事を寄せ集めたようなブルース・リーに関する読み物だったのだ。
それでも、子供の頃に衝撃を受けたブルース・リーは好きだし、彼が創始した截拳道や香港時代に習っていた詠春拳にも興味があった。
「薮田さん、いちばん好きなブルース・リーの映画、なんですか?」
「やっぱり燃えよドラゴンですね。截拳道における技術だけでなく哲学も披露してますから」
「俺も燃えよドラゴンですねぇ。冒頭の高僧との会話や少年に稽古をつける場面の言葉、それにオハラとの試合にハンとの最後の闘いなんか最高ですよね」
「そうそう! それにハンの島へ行く船の上で試合を挑まれて、闘わずして勝つところも好きなんです」
「あぁ、あの場面ですか」
ハンが主催する武術大会に参加するため船に乗ったブルース・リーが、同じ大会に参加する白人空手家に闘いを挑まれ、小島を指し「あの島で闘おう」と言って敵を小舟に乗せる。
だが、自分は乗らずにロープを外して船を海に出してしまい、右往左往する男を船頭たちと笑うというシーンだった。
この男、空手技で船頭を威圧したりする感じの悪い奴なのだが、ブルース・リーは闘いを挑まれたのに相手を騙して笑い者にしたのだ。
史記や三国志演義を読めば中国人の伝統的な戦法だと分かるのだが、俺はこのシーンに納得できなかった。
実戦ではどんな手を使っても勝てばいいのかもしれないが、どんなに理屈を並べても実力を見せなければ誰も納得しない。あれじゃあ闘わずして勝つどころか、ただの騙し討ちじゃないか。
高校生のときにテレビで放送した「燃えよドラゴン」を見て、俺の中のブルース・リーへの憧れや高尚な哲学はパンクロックの轟音の中に埋もれ、消えてしまった。
「二人とも、お喋りばかりしてないで仕事をしなさい!」
ちょっとイラついた感じがする駒田主任の声が聞こえ、慌てて自分の仕事に戻る。
薮田さんが再びブツブツ言いながら仕事を始めたのを見て、俺も目の前のプログラムに集中することにした。
入力データを考えながら、データ・ディヴィジョンのピクチャー句を記入していく。
考えながらプログラムを書いていると、だんだん周りのことが気にならなくなり自分がしている作業に没頭する。
どれくらい時間がたった頃だろうか、薮田さんから声をかけられ顔を上げた。
「安養寺君、ちょっと休憩しましょう」
薮田さんが立ち上がり、右手の親指を立ててクイクイと後ろを指し示している。
気が張っていたためか、ちょっと疲れて肩が重い。何度か首を回し、薮田さんの後に付いて歩いていった。
薮田さんが連れてきてくれたのは、コーヒーメーカーが置いてある小さな部屋。
「コーヒーでも飲んで一服しましょう」
そう言うとコーヒーメーカーの前に行き、紙コップをふたつ持ってテーブルの上に置いた。
「これ、俺たちが飲んでもいいやつなんスか?」
疑問をぶつけると、薮田さんは椅子に腰掛けながら答えた。
「職場の人間なら誰でも飲めるんですよ。仕事で疲れたとき、この休憩室で小休止していいんです」
そう言われ、俺も椅子に座ってコーヒーを飲みはじめたが、薮田さんは休憩室でも体を揺すっており、見れば右脚と左足で違うリズムを刻んでいた。
「薮田さん、仕事してるときからずっと体が揺れてましたけど、貧乏揺すりが癖になっちゃってるんスか?」
「あぁ、僕は中学時代、吹奏楽部でドラムを叩いてたので、足でリズムを取りながら仕事しちゃうんです」
「えっ! 薮田さん、ドラム叩けるんスか!」
「僕が中三のときは、関東大会で金賞をいただきましたからね。こう見えて難しい曲も叩けるんですよ」
「すげえ! 関東大会で金賞ってすげえ!」
俺が通っていた中学校の吹奏楽部も関東大会に出場したことがある。同じクラスにトロンボーンを吹いてる奴がいて、大会で勝ち抜く難しさを語っていたのだ。
それだけレベルが高い大会なのだろうが、そこで受賞したということで薮田さんの実力が窺い知れる。
ブルース・リーのことといいドラムを叩いていたことといい、俺と薮田さんは共通点が多いのかもしれない。
「俺もバンド組んでギター弾いてましたけど、コンテストなんかは出たことないっスね」
「そういえば、新人歓迎会のときに板野さんとロックの話してましたよね。僕は家でジャズばかり聴いてるから、ライブハウスなんかは行ったことがありませんよ」
「薮田さん、家どこなんスか?」
「僕は押上です。安養寺君はどこに住んでるんですか?」
「俺は柴又です。帰る方向、同じですね」
「そうですね。安養寺君は初日だし、今日は早めに仕事を切り上げて、上野辺りで食事しながらブルース・リーの話しでもしませんか?」
「いいっスね! 居酒屋かなんかで語り合いましょう!」
薮田さんが時計を見て「戻りましょう」と言うので、二人して温くなってきたコーヒーを一気飲みし、紙コップをゴミ箱に捨てて休憩室を出ていく。
仕事に戻ると、今度は駒田主任が休憩に立ち上がったのを横目で見ながら、俺は再びプログラミングに没入していった。
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