夢幻の旅:第二十八話
道路に出て、車を走らせてから少しすると、やっと緊張から解放され息が整っていく。
ここ最近、自宅で起こる怪異や俺のスマホに自分からのメールが着信するなど、不思議な現象が続いている。もしかしたら、俺が入院してる間も怪異が続き、良美に怖い思いをさせていたかもしれない。
「なあ、俺が入院してる間も家具が揺れたりしてたか?」
「あんなことが起こったの、ダイニングの食器棚が揺れたとき以来よ。テレビや電気が消えるのも、あなたが仕事に行ってるときは一回か二回あっただけ」
「じゃあ、俺が家に帰ってきたら再開したってことか……」
幽霊など信じてないが、現代科学では説明できそうもない現象が我が家で続いている。良美の話では、俺が不在のときは怪現象は一度か二度だけ。そう考えると、この現象は俺に関係があるらしい。
お互い精神的な疲れが溜まっているためか、あまり話をせずに運転するうちに、車は田舎町には似つかわしくない八階建ての病院へ到着した。
駐車場に車を停め車外に出て、二人で建物へ向かって歩いていく。
自動ドアをくぐり、診察に来たのであろう人が大勢いるホールを、雑多な人々の間を縫って受付まで進み、カウンター内の女に要件を伝えた。
「世良田と申しますが、先日の精密検査の結果が分かったとのことで、結果を聞きにきました」
「保険証と診察券はお持ちでしょうか?」
財布に入れてある保険証と診察券を取り出してカウンターの上にあるトレイに置き、手続きを終えると空いている椅子を探して良美と二人で腰掛けた。
「家の家具が揺れたの、なんだったのかなぁ」
「ねえ、もしかして幽霊なんてことないわよね?」
「幽霊なんかいるわけない。天国も地獄も、宗教を信じさせたい偽善者たちの創作だよ。親父が言ってたとおり、人は死んだら自然へ帰るのさ」
前に座っている年寄りたちのお喋りを聞きながら、俺は「幽霊かもしれない」という良美の言葉を否定した。その言葉は、信じられない体験をした自分自身を納得させるために出てきたのかもしれない。
それにしても病院という所は老人が多い。高齢化社会を迎え、これから医療費や保険料が足りなくなると政治家が騒ぐのも納得できる。昔からそうだったが、年寄りにとって病院は体の悪いところを話すサロンなのかもしれない。
何年か前のゴールデンウィーク中、仕事でぎっくり腰になり整形外科へ行ったが、老人たちで溢れる院内で腰の痛みを我慢しながら四時間待たされたことがある。
受付で手続きを済ませてから、俺より後に来院した老人たちが何人も先に受診していくのを見てるうち、とうとう俺が最後の一人になった。
腰の痛みもあってイライラし、いつ診察してもらえるのか受付に聞きに行くと、最後になった俺に向かって「初診の方はこちらに記入していただかないと診察できません」と言われて頭に血が上り、看護師を怒鳴って帰ったことがあったのだ。
そんな話をしながら待っていると、順番を表示するパネルに俺の番号が表示され、受付の女に名前を呼ばれた。
「世良田さん」
良美と二人で受付に行くと、受付の女は無表情な顔で事務的に行先を伝えられた。
「四階の診察室へ行ってください」
「分かりました」
病院の奥にあるエレベーターに向かい、乗り込んで四階のボタンを押すと扉が閉まる。
エレベーターの中では、俺も良美も無言だった。狭い場所で他の人と一緒になると、親しい仲の人でも喋らなくなるのは何故なのか。
そんなことを思っているうちに、エレベーターは四階に到着した。
「すいません、世良田と申します。精密検査の結果を聞きに来たんですが」
「あちらの左側にある診察室へ入ってください」
エレベーターホールの角にあるナースステーションへ行き、精密検査の結果を聞きに来たことを伝えると、看護師は診察室の場所を教えてくれた。
通路を歩いていくと、だんだん緊張してくる。
診察室前に立ち、扉をノックすると看護師がドアを開けて俺を迎え入れ、良美には外で待つよう言う。
中に入ると、俺より一回り年下と思える白衣の男が机の前に座っていた。
「世良田さん、お待ちしておりました。担当医の諏訪と申します。精密検査の結果が出たので、これからご説明します」
目の前にある椅子に腰かけると、医師は再び喋りはじめる。
「本日はお一人ですか?」
「いえ、通路のベンチで妻が待ってますが」
「では奥様にも聞いてもらいましょう」
医師が俺の後ろに立っている看護師に良美を呼ぶよう伝え、ドアを開ける音がしたと思うとすぐ良美が病室に入ってきた。
看護師が俺の左隣に椅子を用意し、良美が座ると医師は紙を手にして俺たちに向き直る。
一瞬の間を置き、諏訪医師は検査結果を話しはじめた。
「世良田さん、先日の精密検査の結果ですが、どの数値も非常に悪いです。これは、あなたが重篤な病気を発病したためです」
「重篤な病気……」
診察室に重苦しい空気が立ち込める。ゴクリと唾を飲み込み隣の良美を見ると、良美は膝の上に置いたバッグのベルトを、両手で固く握りしめている。
「先生、俺の病気はいったいなんですか?」
医師は下を向いたまま言葉を聞き、少ししてから俺の方を向いた。
「世良田さん、奥さん、よく聞いてください……」
さっきまでの重苦しい空気が何倍にも重くなり、俺も良美も固唾を飲んで医師の言葉を待つ。
医師の顔が覚悟を決めた顔になり、俺と良美を交互に見てから、ゆっくりと、自分自身にも言い聞かせるように喋りはじめた。
「世良田さん、あなたの病気は……膵臓癌です」
周りの空気が固まり、時間が止まった感じがする。急に全身を襲ってくる悪寒に思考が停止し、なにも考えられない。
窓の外から室内を照らす明かりも、心臓の鼓動も血液の流れも、なにもかも停止してしまった俺の時を再び進ませたのは医師だった。
目を開いたまま動かなくなった俺に向かい、医師は俺の目を見つめながら、追い討ちをかけるように言葉を続ける。
「あなたの癌は、現在ステージ四。膵臓の重要な血管が密集する、手術は困難、というか不可能な場所に腫瘍が見つかりました。さらに胃と肝臓にも転移が認められるので、すぐに治療を始める必要があります」
「膵臓癌……ステージ四……生存率ニ十パーセント以下……」
「うっ……うっ……うぅっ……」
隣りにいる、両手で顔を覆ってすすり泣く良美の肩に自然と手を置き、せめて泣き止むようにギュッと力を込める。
俺たちを見ていた諏訪医師が、しばらくしてから諭すように言った。
「あなたが言うように、五年後の生存率は二十パーセント以下です。ただ、見方を変えれば五人に一人は癌を克服している。我々も全力を尽くすので、五人に一人を目指して頑張ってください。治療しなければ余命三ヶ月、すぐ入院して治療を始めましょう。受付に話しておくので、このまま受付で手続きしてください」
泣きじゃくる良美を抱えて立ち上がったものの、足が地に付いてない感じでまっすぐ歩けない。同情するような顔の看護師が開けたドアをくぐり、良美をベンチに座らせた。
ベンチに座って泣く良美を立ったまま見ていると、俺がしっかりしなければという気になってくる。病気なんだ、ジタバタしたって仕方がない。
「良美、受付で入院手続きをしてくれ。俺はエリア長に電話してくる」
泣き止まない良美を立たせてエレベーターに乗せ、エレベーターホールの奥にあるデイルームに行ってポケットからスマホを取り出し、椅子に腰掛け電話をかけた。
「はい、本田です」
「お疲れさまです、世良田です」
何度かのコールでエリア長が電話に出たので、俺は単刀直入に話を切りだした。
「本田さん、すいません。精密検査の結果、膵臓癌と診断され即入院になってしまいました」
電話の向こうで、エリア長が絶句しているのが分かる。
突然こんな話をされてもかける言葉が見つからないだろうと思い、続けて要件を伝えた。
「このまま有給を消化させてください。それと、有給消化後は人事課付けで休職になるでしょうから、早めに他の店長を異動させてもらえますか?」
「――分かりました、すぐ手続きを行います。世良田店長、必ず治して戻ってきてください」
「大丈夫、喧嘩の上手さだけが俺の取り柄なんだ。病気に負けたりしませんよ」
そう言って電話を切り、テーブルの上にスマホを置くと天井を見上げた。
競合他社に打ち勝ち、売り上げを伸ばし利益を出すことが俺の仕事だ。自分では今まで結果を出してきたと思ってる。俺は企業同士の喧嘩に夢中になり、それが楽しくて仕事をしてきたんだ。
エリア長への言葉は、そんな俺の精一杯の強がりだった。
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