Autographic 第二話:虚無

創作長編小説

 空っぽのまま生きてる屍のような今の僕には、どんな慰めの言葉も気分転換も無意味だ。明日の放射線治療も投薬治療も、僕の心を前向きにすることはない。僕の体はこのまま衰え、死に向かってひた走っているんだから。

「大舘さ~ん、検温しますよ~」

 川に泥水が流れるように僕の心を巡っていたドス黒い思考が、看護師さんの声で堰き止められた。今日もバイタルサインチェック、毎日体温と脈拍を測って点滴の交換。これじゃポジティブな考えに変わるわけがない。いい加減うんざりした僕は、点滴を交換する看護師さんに退院できる日を尋ねてみた。

「あの……僕はいつ退院できるんですか?」

「う~ん……この間の検査結果次第かなぁ。良くなってれば榛沢先生が家に帰してくれると思うわよ。今は辛いだろうけど、ちゃんと治療して病気を治さないと帰れなくなっちゃうからね」

(やっぱり看護師さんじゃ判断できないよな……)

 そんなこと分かってて聞いてみたが、お決まりの答えを返されたので「分かりました」とだけ言い、溜息をついた。検診が終わり、看護師さんは点滴の交換をはじめたが、先端恐怖症の僕は針を見るのが嫌で必ず横を向いてしまう。入院してから点滴をしない日はなかったので針を刺してたところが硬くなってしまい、看護師さんが浮き出てる静脈を探して腕に針を突き入れた。

 看護師さんが出ていくと、手持無沙汰になった僕は体を起こしたまま、母さんが買ってきてくれた犬の雑誌を読み始めた。去年から犬が飼いたいと和幸と二人で両親に頼んでおり、小鹿野町に住む大叔父の猟犬に子犬が産まれたら一匹もらってやると、父さんが約束してくれたのだ。

 小さなときから遊びに行ってた大叔父の家は山の中の集落にあり、農業の傍ら猟を行っている。四匹いる猟犬は柴犬を一回り大きくしたような犬で、犬種は分からないけど野性味溢れる、おじさんが「地犬」と呼ぶ、昔から秩父地方で飼われていた犬だった。おじさんは主に鹿や猪の猟をしているが、一度だけ熊を撃ったことがあるらしい。人里に出没するようになった熊を、猟友会の仲間と共に駆除した話を去年聞いた。そのとき猟で活躍した犬の話を聞き、僕と和幸は犬を飼いたくなったのだ。

 雑誌を読んでるうちに夕食の時間になり、甲斐犬という虎毛犬の特集を読みながら不味い病院食を食べる。甲斐犬も優秀な犬らしく、猟をする人に多く飼われているという。雑誌で見るかぎり、甲斐犬は赤い虎毛や黒い虎毛でかっこいい犬である。

(赤い虎毛犬も綺麗だなぁ。おじさんの犬から赤虎の子犬が生まれないかな……)

 夕食を食べ終わり、雑誌を読みながらおじさんの地味な毛並みの猟犬から虎毛犬が生まれることを期待していると、薬の効果か空腹が満たされたためか、それとも退屈のためか分からないが睡魔が襲ってきた。

 明日は朝一番で放射線治療、午後は榛沢先生がこの間の検査結果を教えてくれる。僕は雑誌を置き、家に帰り学校に通えるようになる日がくるのを期待しながら、灯りを消して目を閉じた。

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