Heaven Sent:第二十話

創作長編小説

 離婚しようとしてる相手の金を勝手に使うなんて考えられないし、勝手にアパートの連帯保証人にされたのだって信じられない。そんなの、たとえ夫婦でも有印私文書偽造じゃないか。なにより、親父とお袋が援助してくれた金が入っていた口座は、両親から援助された金を使わずにとっておくため会社近くの銀行で新規開設した、理恵子には教えてない銀行口座だったのだ。たとえ結婚してる間は夫婦の共有財産になるとしても、理恵子の行動が俺には理解できない。

 心の中の感情を抑えることができず、俺の口から堰を切ったように言葉が溢れ出た。

「ふざけるな! あの金は、親父とお袋が借金まみれになった俺に援助してくれた金だぞ! お前の知らない口座にあった、お前に関係ない金だ! その金を使って借りたアパートの連帯保証人が俺だって!? 私文書偽造してんじゃねえよ! だいたい……」

 嫁入り道具も持ってこないで、何がまともな生活道具を用意してくれないだ、と続けようとした俺の言葉を遮り、目を吊り上げたままの理恵子が喚きだした。

「貴方は私の人生を滅茶苦茶にしたのが分からないの! 私は貴方に心も体も傷付けられたのよ! 引っ越し代もアパートのお金も、手切れ金代わりに出して当然じゃない!」

「いつ俺がお前の体を傷付けた? お前に手をあげたことなんかないだろ!」

 そう言うと、理恵子はうつむいて泣きはじめた。さっきまで怒りの形相だった彼女の態度が急変したことに戸惑い、なにか声を掛けようとしたが掛ける言葉が見つからない。それに理恵子の泣きかたが喧嘩して泣いているのとは違うようだ。

 怒鳴るのを止めて見ていると、理恵子が泣き顔のまま顔を上げ、信じられないことを喋りはじめた。

「貴方の赤ちゃんを妊娠したのが分かったので、先月堕ろしました。私、もう赤ちゃんが産めないかもしれません。男の貴方には分からないでしょう? 私がどれほど苦しみ、体を傷付け堕胎したのか。私も先のことを考えないといけませんから」

 一瞬間を置き、理恵子が言っていることが分かってくるに従い、頭の中が真っ白になっていった。妊娠したなんて聞いてない。結婚前から早く子供が欲しいって話してたのに、俺の子は知らない間に理恵子の体に宿り、生まれる前に短かすぎる人生を終えたのか……。早く子供をつくって自分の家庭を築きたかったのに、俺のささやかな夢と子供のために生きる人生が、知らない間に子供が亡くなっていたという結末で、突然終わりを告げた。

 理恵子を捉えている視界が次第に歪んでいき、熱いものが両目から幾筋も頬を伝って床に落ちていく。だんだん胸の鼓動が速くなっていき、真っ白になった頭の中に過去の出来事が映像になって映し出された。

「行っちゃイヤだ!」

 祖母に腕を掴まれたまま、妹を背に大きな荷物を両手に持った母を、泣いて追いかけようとする三歳の自分。

「行っちゃイヤだ!」

 何度も叫び、泣き喚いて追いかけようとする母の後ろ姿が次第に薄らいでくると、再び涙を流す理恵子が目に映る。

 右手で力いっぱい理恵子の頬を叩くと、すすり泣く理恵子が涙を流したまま目を怒らせ喚き散らした。

「私はまだ二十四歳よ! 今ならやり直せる! 貴方の子供なんか産みたくない! 私を苦しめた憎たらしい男の子供なんか育てたくない!」

 涙を流す理恵子の叫びを聞き、崩れ落ちるように床に座ると、口から力のない言葉がこぼれ出た。

「出ていけ……二度と俺の前に現れるな……」

 足元にある離婚届の文字が涙で歪んで見える。ボールペンを握り、震える手で署名欄にサインをした。両目から流れる涙が、まるで筆跡をたどるように離婚届を濡らしていく。愛も夢も空回りしてた人生で、やっと掴んだものが両手の指の間をすり抜け、ゆっくり落ちていくような感じがした。

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