【映画/ドラマ論】アヌスの鏡理論

雑記帳:読むな! 呪われるぞッ!

「今夜のあたしは血が燃え滾ってるんだ、あたしに触るとヤケドをするよ」
「すげぇや~ユミさん~」

この訳の分からない会話は、大映ドラマ『ヤヌスの鏡』の出演者、杉浦幸と風見慎吾の台詞であるが、宇津井健は突然踊り出し、南野陽子は鉄仮面を被り、安永亜衣は父の形見の5番アイアンでゴルフボールを飛ばして敵を倒す不良少女というように、今思えば目が点になる設定のドラマを大映は作り続けていた。

ある人は韓流ドラマに大映ドラマの影を見、またある人は三谷幸喜の作品を見て大映ドラマに思いを馳せる。

だが、はたしてそうであろうか? 韓流ドラマには大映ドラマが持つ素っ頓狂なクールさが感じられず、ただ行き当たりばったりで雑なだけ。三谷幸喜のドラマはコメディ作品として狙って笑いを作っており、大映ドラマが持っていた凄まじいまでのパワーを感じない。(あくまで個人的感想です)

例えて言うならば、大映ドラマは職人が一心不乱に仕事に打ち込み、その姿を覗き見ているのに近いのではないのか? たとえどんな依頼でも「これが俺の仕事だ!」と言わんばかりに演技する役者たち。

裏方の職人たる脚本家や監督が「面白いモノを作ろう」と真剣に考えた挙句、素っ頓狂な脚本や演出になったとしても、演じる職人である役者は関係ない。受けた仕事はプロとして完璧に演じるだけなのである。大映ドラマとはまさに、肛門のシワの数を数える仕事を請け負った職人が、己の肛門を鏡で見ながら必死にシワの数を数えている。それを見た第三者が「プッ!」と噴出してしまう面白さといえる。

俺は自身で喝破したこの理論に『アヌスの鏡理論』と名前を付けた。

『ブルース・ブラザーズ』が『まむしの兄弟』のリメイクだったように、韓流ドラマなど大映ドラマの劣化コピーとしか思えない。もっと砕いて言えば『ショーシャンクの空に』より『脱獄広島殺人囚』なのだ。そして、この違いが分かる貴方も『アヌスの鏡理論』の理解者という事であり、この理論に最も忠実だったのが『東映』なのがお分かりいただけると思う。

上記の『脱獄広島殺人囚』など、三人で脱獄して食いものを探しに民家を荒らし、やっとみつけた食いものに中って下痢になってしまい野グソをする羽目に、脱獄したうちの一人である、水戸黄門でお馴染みの西村晃はG.I.のジープを止めようとして撥ねられ死亡してしまう。他の東映映画でも、千葉真一は東南アジアでポン中になりヘロヘロな演技を見せ、白バイ警官に扮した室田日出男はバイクで大コケして血まみれでドアップ、取調室で尋問される川谷拓三は菅原文太に殴られ、なぜか飛び上がって半回転し背中から床に落ち、挙句の果てに、梅宮辰夫主演の『不良番長』では、山城新伍はスクリーンの中から観客に向かって話しかける凄まじさである。

「どれも1970年代の古い映画だろ?」と思っている方もおられるかもしれないが、1997年公開の東映映画『北京原人』にも、その伝統は脈々と流れ続けた。辻褄の合わないストーリーに科学を否定するかのような設定、「よくこんな仕事受けたなぁ」と思わざるを得ない緒方直人のフランスパンに片岡礼子のストリップ。1993年に公開され大ヒットを記録した『ジュラシック・パーク』の二番煎じ的映画を目指したんだろうが、そこは天下の東映、面白さを追求した果てにブラックホールに吸い込まれてしまったのであるっ!

映画公開前にテレビで特集を組んでおり、東映ファンの筆者は100円で投げ売りされていた前売り券を買って映画館に足を運んだが、観客は筆者の他に、孫を連れてきたおばあちゃんと暇つぶしに来たような親子連れの三組しかいなかったのも衝撃的であった。その後も、1シーンしか撮れなかった深作欣二の遺作『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』では、奇妙な形相で薬を食らっていた竹内力が、ラストで爽やかなラガーマンの格好をして爆死している。

僭越ながら筆者のサイトでも、トップページのサイト説明で北京原人を引き合いに出しているし、仕事でラジオ出演した時にも紹介させていただいた。興味を持った方には、ぜひ見てい欲しい。そして、皆さんも映画をご覧になられる際には、『アヌスの鏡理論』で映画を見ていただきたい。

きっと、あなたの心の中に新しい不思議な世界が築かれるだろう。

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